楊令伝十五 天穹の章 感想編(ネタバレ有り)

このブログで本を紹介する際、あからさまなネタバレはしないよう気を付けている。しかし、今回ばかりはネタバレ無しには書きようがないので、2回に分けて紹介することにしました。


楊令は、自らを囮とすることで岳飛を追い込む。今まさに岳飛の首を取らんとしたその瞬間、兀朮(ウジュ)率いる金軍が楊令軍を襲う。すぐさま反転し、対金軍戦に移行する梁山泊軍。


今は亡き先帝、呉乞買(ウキマイ)の勅命に心を縛られた兀朮、そして金国宰相の粘罕(ネメガ)。粘罕は自由市場を金国で開くべく交渉に来ていた宣賛を捕縛し殺害してしまう。


呉乞買は最後の最後で真に国を思う気持ちに目覚めたのかも知れない。しかし、やはり凡庸は凡庸で、楊令の思い描く”新しい形の国”を認めることは出来なかった。そして、凡庸な帝の勅命に従ってしまった兀朮、そして粘罕。


兀朮に助けられたことを屈辱に思う岳飛岳飛は、漢族の国である南宋女真族の国である金国から護るために戦ってきたのだ。その岳飛が金軍総帥の兀朮に助けられたのだ。これ以上の屈辱があるだろうか。


金軍に呼応すれば楊令を倒せるかも知れないが、それを良しとしない岳飛梁山泊軍は金軍と対峙し、花飛麟を失いながらも圧倒的勝利を以て金軍を下す。総崩れとなって敗走する金軍。しかし兀朮は生き延び、女真族としての誇りを胸に抱いて再起を決意する。


再び岳飛と対峙する楊令。岳飛は、青騎兵の指揮官張平を討ち取るも、全体としては梁山泊軍に圧倒される。もはや梁山泊軍に対抗し得ないまでに弱体化した岳家軍。しかし、岳飛は引こうとしない。


闇が戦場を包み、軍を引く両軍。明日の日が昇るとき、雌雄が決せられるのだろう。


最終決戦に挑もうとする楊令。支度をしているときに、従者として使っている者に刺される。従者は、実は青蓮寺が送り込んだ刺客だったのだ。自らの身分を明かしながら自決する刺客。傷は浅いものだったが、凶器の短剣には毒が仕込まれていた。


岳飛に一騎打ちを挑む楊令。岳飛は圧倒され、右腕を切り落とされる。死を覚悟した瞬間…しかし、死はやってこなかった。そして、馬上にありながら動かなくなった楊令。かつての梁山泊頭領、晁蓋と同じ、毒による死。


「英雄が、死んだのでしょうか?」
−いや、夢が死んだ−
”新しい形の国”という夢の具現者となるはずだった楊令。その楊令の遺骸を岳飛が見送る場面を以て「楊令伝」は完結する。



楊令が暗殺で死んでしまうなんて…。しかし、戦場では強すぎて戦死することが想像出来ない楊令を死なせるには、こんな方法しか無いのかも知れない。
楊令伝四巻で、帝の暗殺により瓦解した燕国が思い出される。楊令の死が即座に梁山泊崩壊へと繋がるわけではないだろうが、少なくとも「梁山泊を中心とした、物流によって成立する新しい形の国」を推進する力はだいぶ弱まるだろう。


「物流によって成立する新しい形の国」が民に十全の幸せを必ずもたらすとは言い切れないだろう。現在、各々の国家が直面しているグローバリゼーションが、必ずしも幸せだけを運んでくれていない、むしろ経済を歪ませているのを見れば然り。しかし、それでも「支配する帝と支配される民のいる国」で辛苦に喘ぐ当時の民にとっては、それは光だったのではないだろうか。


革命にはつねにライオンとロバが立ち塞がる。ライオンとは権力者であり、ロバとは愚衆のことであるが、今回のライオンは青蓮寺であり、ロバは金国の面々である。青蓮寺が影で糸を引く南宋は、一部の商人に特権を与えることで成立している国家であり、自由市場の成立は即国家体制の瓦解に繋がっていた。一方、金国は愚帝呉乞買による「新しい形の国」に対する”ぼんやりした不安”だけが理由で反梁山泊となり、そして旧来の国家体制から精神的に逸脱しきれなかった兀朮と粘罕もそれに巻き込まれてしまった。金国の傀儡国家である済国では、自由市場で利を得ていたにも拘わらずである。


ロバたる金国は金軍が散々に打ち破られ、兀朮も片足を失う大怪我をする。一方、ライオンたる青蓮寺は、最後の最後で楊令暗殺に成功するなど、さすがは「水滸伝」「楊令伝」通しての梁山泊最大の敵である。


話は前後するが、「水滸伝」第一巻から登場し、常に梁山泊にとっての最大の敵として存在していた李富が、この十五巻でよりによって呉用に暗殺されてしまう。死に際もかすかに笑いながら死んでいったが、楊令の暗殺成功、そして梁山泊の弱体化を予見して笑っていた…というのは勘ぐり過ぎか。


美しい夢と共に、冥界に旅立ってしまった楊令。そして、志を胸に死んでいった梁山泊の男達…。志など持ちにくい時代だし、志を持つに値しない人品しか持ち合わせていないかも知れないが、それでも心の片隅に「こんな風に生きてみたい」という気持ちを持っていたい。そんなことを思わせてくれる素晴らしい作品を世に出してくれた北方謙三さんに、心から感謝したいです。