映画 永遠の0(ゼロ)

百田尚樹氏の小説「永遠の0(ゼロ)」を原作とした劇場映画を鑑賞してきた。


オープニングは海面すれすれを飛行しながら空母に突撃する零戦のシーンで始まる。空母に迫る零戦。そしてシーンは現代に移り変わる。


日本映画で危惧されがちなCGシーンに関しては予告で見られるとおり、なかなか頑張っている。空母赤城に関しても、遠くから映すシーンで「ふふっ」って気持ちになったが、艦首をアップで写すシーンは素晴らしい現実感で鳥肌が立った。聞けば、航行する護衛艦たかなみを撮影し、艦首に発生する波の映像を素材として使用しているとか。空戦シーンに関しても、うるさ型には言いたいこともいろいろおありでしょうが、私は十分満足な出来だと感心しました。


ちょっと残念なのが宮部久蔵の描かれ方。小説での宮部久蔵は「勇敢ではなかったが、優秀なパイロット」であり、戦うべき時には戦い非情になる時には非情になる、兵士としての自分と家庭人としての自分を共に持ち合わせた人物として描かれているが、映画だと家族を愛するあまり臆病になっているだけの人物に見えてしまう。まあ、主演の岡田准一さんあたりを目当てに来る女性には、「兵士らしい宮部」より「家族の為なら戦争なんてしない宮部」のほうがアピールしやすいのかもしれないが…


映画版の宮部は「乱戦から逃げる」、小説での宮部は「乱戦を避ける」といった違いがある。世界最高の撃墜王、エーリッヒ・ハルトマンも乱戦に巻き込まれそうになったら一旦待避し、有利な状況になるのを待って再び攻撃に入ったという。それを臆病とか卑怯と言う向きもあろうが、何が起こるか分からない乱戦に突入し不運で死んでしまうよりはクレバーな戦い方だろう。空戦の極意は不意打ちであり、敵味方が互いを認識している乱戦状態では半分負けたようなものである。


そして、宮部が落下傘降下する敵パイロットを撃ったエピソードが省略されていたのは痛い。他のパイロットと違い、空戦とは、そして戦争とは「人と人との殺し合い」であると切実に認識していた宮部。このエピソードは、宮部が単なる臆病者では無く、実は兵士として戦争に勝つために何を成さねばならないか良く自覚している人物である事が描かれているのだが…


宮部が特攻に志願する動機も、小説では海軍という官僚組織に押し潰された形なのだが、映画だと描写不足故、単に「人がいっぱい死んじゃっていやになっちゃった」ぐらいの情けない理由に見えてしまう。小説中で執拗に繰り返された海軍幹部への批判がオミットされてしまった関係で、そこらへんが曖昧になってしまったようだ。不適切なエピソードの間引き方によって、宮部久蔵の人物像が薄っぺらいものになってしまったのはとても惜しい。


他にもエンディングシーンが端折られていたり、「ここは削るなよ!」と言いたくなる省略がいっぱい。2時間半じゃ尺が短すぎたと言わざるを得ない。NHKあたりが6回くらいのドラマにしてくれれば、良いものになったかもしれない…変な改変さえ無ければ。


小説を既に読んでいる人やこれから小説を読む予定がある人にはお薦め。小説を読んでから映画を見ればスクリーン上を飛ぶ零戦や航行する空母赤城を楽しく見ることが出来るし、映画を見た後に小説を読めば省略されたエピソードや説明不足な部分が補完されて映画の理解度が深まると思います。
小説を読む予定の無い人には…映画だけ見てもそれなりに楽しめるだろうけど、なんかもったいないなぁ…と思います。